インナーチャイルドとかアダルトチルドレンとかきゃさりんの場合
私は、インナーチャイルドとか、アダルトチルドレンとか、出来ないやれない為の単なる言い訳だと思っていてね、
「んな事言ってる暇あるならさっさとやることやれよ!」
と思っているし、もし友達や周りの人がそういう話をしたら、
「大丈夫そんなの勘違いだから」
と、かなり声高に言ってきた。
そのインナーチャイルドとかアダルトチルドレンとか、ゆるいような自分を許す為の理由?みたいな言葉自体も好きじゃ無かった。
だってさ、そんなどうでも良い言葉を傘にしなくても、
もっとやれる事あるし、やれる事にフォーカスすれば良いだけで、
もっと輝けるのに、怠けてるだけじゃん⁉️ってずーっと思ってた。
例えばアルビノについて、
私は過去世の記憶も、胎内記憶ある方だ。
(ひょんなことから思い出しただけでそれが凄い事だとちっとも思っていない)
この器を選んで来ている自負があるの。だからアルビノはトラウマにはなってない。
でも人によって、感情も違えば痛みを感じるレベルも傷付くポイントも様々なんだ。
同じアルビノだとしても、トラウマになって表に出れない子だっているし、私の様に出たがりなのもいる。
「ご苦労されたでしょ?」といわれても、別にそんな大した事じゃない。と思っていたし、いまでも思ってる。
でもさ、でもね・・・
根深く、心の奥底に、見えない様なフリして、いる事に気づいたのよ。
「私のインナーチャイルドちゃん」
絶望だよ、
まさに絶望。
はぁ〜?私がそんなのいるわけないじゃん!
いま、まさに
アホでクソで無力で、
人の役にも立たなくて、
何も貰えず何も与えられず、
承認欲求ばりばりで、
凄い!って言われたくて、
思いつきで動いて、やり遂げられなくて、
思い込みも決め付けも実は沢山あって、こんな自分なんか駄目で最悪だって、
ただ自分を買い被っていただけだって事がよく分かった。
「使えない」とは言わせない!
って何くそ根性だけが、私の原動力だった。
小さい頃の私は感受性も強くて、傷付いた自分を直視したら耐えられなかったから、強がって、なんでもないふりして直視しないように、薄眼を開けて、
身体を反らして躱して居なければ立って居られなかった。
大人になって気付いたらいつしかそれが常になり、所謂鈍感力が鍛えられたのだけど、
本当はさぁ〜〜、
相当痛かったし、
死ぬ程辛かったし、大粒の涙流して泣きたかったし、
大丈夫だよって言って欲しかったし
必要とされたかったし、必要としていたし、
あなたはあなたで良いんだよ
って言って欲しかったんだ。
ばっかじゃないの私。
この歳で、人の気持ちに寄り添ってプロとして、
人のソウルからメッセージお伝えする仕事してるのに、
なに今さら言ってるのかって、自分に絶望する。
出来てるふりしていた自分に絶望するわ。
でもね、同時に気づいた事があるの。
ちゃんと傷つく時は傷付こう。
痛い時は痛いって言おう。
辛い時は辛いって言おう。
見ないふりしないで、ちゃんと見よう。
悟ったふりして誤魔化すのはやめよう、
1度自分の堕ちるところまで堕ちよう。
それをしてこなかったら、傷付いた人の心も無かった事にしちゃう。
本当にその人に寄り添うことはできないのだ。
自分の感情も、自分のコンディションも、上手にコントロールするには、
無かった事にするんじゃなくて、やり切っちゃうこと。
その時の感情はその時に昇華させよう。
それを自分に許さなかったら、人にも許せない。
大丈夫!私は死なないし、この先のストーリーは面白い事になるのは決まっているのだから。
明るい未来が確定しているから、安心して堕ちる事も味わえる。
死なないと分かっているからバンジーも飛べるし、
ディズニーランドのホーンテッドマンションに入れる、みたいに。
自分の為に、私に出会う全ての人の為に、
歩くパワースポットきゃさりん常に脱皮を繰り返す。
一皮剥けたらそのぶん世界が拡がり、本当の私に還っていくのがわかるから、痛くても怖くてもオエオエしながらも自分を見ることをしていこう。
サンキュー私のインナーチャイルドちゃん。