目を開けてちゃんと見る事の大切さを感じた5歳児
目を開けて見る事の大切さを体感した5歳児
私は雪国育ちで、小さい頃から冬は雪遊びやスキーをするのが当たり前でした。
真っ白に光って見え難くても、何度もやって繰り返せば身体はちゃんとそれに慣れて反応してくれるから、当時スキーは結構ちゃんと滑れていたと思います。
でも雪合戦は流石に全く見えなかったから、顔面に雪の球を食らうことはしょっちゅうだったし苦手だったなぁ。
なんて事を思い出しながら、
そう言えば!
とっても大事な事を思い出しました。
それは幼稚園の頃・・・
40年前はゴーグルなんて無かった(うそ買ってもらえなかった)から、真っ白な雪の中を眩しくて見えなくて目が開けられなくて大変だった。
涙がぼろぼろ溢れて、
おまけに雪焼けで顔が真っ赤になっても、ただひたすらに滑る事しか考えて無かったスキー大会の日。
晴天で上からもお日様がカンカン照りで雪の反射も半端なくて、
眩しくて眩しくて目が開けられなかった私は、ぎゅーっと目を閉じたままスタートをして、ゆるい坂を降りていった。
当時はスキー場じゃなくて、ただの開けた山の斜面だった。
お母さんがゴールに居てくれて、
友達のお母さんもいて、
私を呼ぶ声は聞こえてはいたけど、
兎に角眩しくて目が開けられない私は、
ゴールを大きく外れて、林の中に突っ込んで行ったのね。
木にぶつかって、止まって、助け出されて、
それでも懲りずに何回かチャレンジして、でもやっぱりなかなかゴールにたどり着けなかった。
(何でそんなにまでしていたのかは覚えてないけど、兎に角やり続けた)
最後の滑走の時に、何故か一瞬目を開けてゴールが見えた瞬間があって、
気付いたら勝手に身体がそっちに向かってくれて、ちゃんとゴール出来たの。
5歳児の私は、
「うわぁ目を開けてゴールをみるとちゃんとゴールできるんだあ」
という事が分かって感動したんだ。
ゴールって「見たら」行けるんだ!
どんなに頑張っても、ちゃんと目を開けてゴールを見定めないと、いくら努力したってたどり着けない。
逆にゴールをちゃんと見ると、身体は勝手にそこに向かってくれるんだ。
弱視だろうと関係なく、
目的地を「ちゃんと見る」事の大切さを体感したんだよね。
そして、忘れていた事に気が付いたの。
大人になった自分がゴールを見ずに、ただがむしゃらに走っている事を。
私、何でもスタートダッシュが素晴らしいのね。
でも長く続かないし、途中で飽きちゃうの。
まぁそれも大事な個性の1つなんだけど、いい加減疲れちゃう。
実は自分にとってのゴールを見ずに決めないで目をつぶってダッシュしちゃうから、
「あれ?私どこに向かってるんだっけ?」
「こんなに頑張ってるのにどうして報われないの?」
って事になるのよ。
5歳児の私はあの時、ゴールを見る事への何だか分からないけど凄いパワーを感じたのに、
すっかり忘れてしまうのね。
誰のものでもない自分の経験の中に、答えは全てあるんだ。
目標設定をする、ゴール設定をするって、絶対条件じゃないかも知れない。
でも、ほんの一瞬でも目を開いて見えるなら、行けるのよね。
5歳児で体感したそれを、もう一度今の自分にさせてあげようと思う。