平成1年11月11日 1に始まり1に終わる
きゃさりんは、立派なファザコンです。
お父さん程の男は居ないと思っています。
今日は少しだけ大好きな父の話をしようと思います。
福島の山奥に9人兄弟の長男として生まれた父は、
鍛冶屋の息子らしくとても真面目で几帳面、厳格な職人気質。
多くは語らず、まさに「背中と行動」で語る、周囲からも一目置かれた人でした。
陽気で気さくな働き者の母と結婚し三人の子供が生まれ、
特に一番下の私は1番上の姉と15歳も歳が離れていた事もあり「孫」の様に可愛がられました。
何をさせても職人だった父は、
大工仕事も一流、
お米作りも一流、
渓流釣りをしても一流、
何でも一流の職人技でこなしていたましたが、決して驕ることも無く
日々研究・精進を忘れなかった、
それが生き方そのものでした。
厳格そうな表の顔も私には優しい父でしかなく
動物が好きで、ぬいぐるみにまで話しかけたりしていました。
TVを見て笑い声をあげていた時は、小さい私も本当に心の底から
嬉しかったのを今でも憶えています。
父は若い頃から身体があまり強くなかったので、通院、入院、手術を繰り返していました。
胃がんの手術でお腹を十字に切っていたり、
手術の後遺症で静脈瘤になり死ぬほど苦しがっていたり・・・
痛い痛いと大量に薬を飲んでいたり・・・
私の記憶の中では、殆どが病院との関わり苦痛の方が多かったかな。
平成1年11月
当時高校生だった私は、通学の関係で両親と離れてアパート暮らしをしていました。
父が旅立ちの準備を始めた連絡が入り、一時父の病院に寝泊まりしながら看護をし2週間位一緒にいれただろうか?
その頃実家が建て替えをしていて、翌日引越しをする予定だったので準備をしようと一晩だけアパートに戻る事になりました。
父に「また来るね」って言って
父は「おー」と息で返事をしました。
意識は殆ど無かった様に思います。
その夜は満月では無かったけれど
(満月まであと3日、月相11ここでも1が)
本当に月が綺麗で綺麗で、キラキラ蒼白く光る河原沿いを1人歩きながら、
父との別れが近いのに何にも出来ない自分の悔しさにぐちゃぐちゃな心をどうして良いのか分からなかった。
それを月が静かに見守ったいてくれた、そんな夜でした。
生きる時を選ぶのと・・・。
ひとは魂では生まれてくる日にちを自ら選び、その日によって宿命や人生の役割、課題の様なものを決めてくると言われています。
それならば逆もあるのでは無いか?
そう思ったのは、私の最愛の父の命日が
平成1年11月11日
だったから。
仕事も生き様も何もかも一途で、一流だった父は、
名前も「良一」
誕生日も8月1日で、一に纏わった事が多かったように後から気がつきます。
(数霊でいうところの1は一流、職人、真っ直ぐで純粋で健気という意味があります。)
平成1年11月11日
一が揃う29年前の今日、60歳であちらの世界に逝ってしまった父は、
今でも私を律して、そして見守ってくれています。
お父さん、いつもありがとうね。