私って障害者だったっけ?素適な勘違いのススメ
私は自分の事を障害者だと思った事がありません。
(まぁそんな事言っても、障害者雇用枠で大手海運会社の人事に7年もお勤めさせて頂いたのだけど・・・使える物は使っちゃうよ)
そして、
私のセルフイメージ、
自己肯定感の高さって一体何処から来るのだろう・・・?
最近よく質問されるので自分でも改めて考えてみました。
【私なりに考えた結論いわゆる勘違い⁉️】
目次
その①褒められて育つタイプ→素適な勘違いの始まり
小さい頃から良く母に、
「あんたは気が効く良い子だ」
「性格が本当良い」
と、相当褒められてきた事が大きいでしょう。
きゃさりんは本当に自他共に認める
「気の利く性格の良い子」
だったのですよ。
今でも母はもの凄く私を褒めてくれてます。
(逆に小学生の時の先生には「ぶりっ子してる」といわれ、当時虐められる時は「ぶりっ子」ってあだ名ついたなぁ。)
その②「見えてない」ラッキーな故の勘違い
弱視なので裸眼でも0.01程しか視力はありません。
しかも光が目に入ってきちゃうから眩しいのです。
だから見えない事が多くて、ゆえに
「悪い事や嫌な事を見なくても済む」のです。
書類などの小さい文字は
ルーペを使う、
拡大コピーする、
匂い嗅ぐレベルで書類を顔に近付ける。
これでオッケー👌
見えないってラッキー🤞
自分の好きな様に、感覚で物事を見てる(捉える)ので、素適な勘違いは進みます。
注目もされちゃうアルビノなので余計に、チヤホヤされちゃうし良かった事しかありません。
その③バブル期友達は勘違いのレベルが桁違い⁉️
多感なお年頃きゃさりんが上京してきた27年前は丁度バブル期・・のバブルが弾ける頃。
だからオッケーバブリーなお友達も多かったのです。
アッシー😃メッシー👌マイケル富岡🤣
お財布触らずに、ご飯お酒プレゼントなんてのはざらなやつらの
「セルフエフィカシー」は半端ない⁉️
説明のしようがない程の、根拠の無い自信に満ち溢れ、自分に出来ないことは無い!と心底勘違ぃしていらっしゃいます。
そんな方々と常に遊んでましたから・・。
とまぁこんな風に幼少期から熟年期まで過ごしてますから、素晴らしく素適な思い込みしかないのです。
親友の中尾千絵ちゃんは歳下だけど、
根拠の無い自信に満ち溢れたセルフエフィカシー高め系ナンパーワンです。
私の障害者の定義
でもね面白い事に、幼少期から褒められていたと同時に、母には
「何でそんなに堂々としているのか?」
とも言われてきたのです。
とっても不思議なお話でしょ?
当時小さかったからその意味はわからなかったし、深く考えもしなかったけど、今考えると、
「欠損品で普通じゃないんだから、コソコソしていた方が目立たなくていいのに・・・」
とも取れる発言、
実際アルビノを産んでしまった引け目を感じている母から出るには、当然の言葉なのでしょう。
その欠損品=障害者って事になるのかも知れないんだけど、
私に言わせたら、
見えないとか聴こえないとか歩けないとか、
一般的に普通の人が努力せずできる事が出来ないから障害者だと言う認識はないのです。
私の定義はありません。
それが個性なんだし、
一般的な障害持たずに生きてる人だって皆んなどこかで欠陥品じゃない?
そもそも人間なんて、完璧じゃないし凸凹してるんだから、カバーし合えば良いだけよね?
私はアルビノのおかげさまで、ラッキーな毎日、
その個性を活かして楽しく生きてるし、
弱視のおかげさまで、見えなくていい物は見ないし、
恐らく人より何処行っても楽しめる。
ご飯も毎日美味しく食べてるし、
感動したがりで日々色々なものに心動かされるし、
特別に困る訳でも、
特別にケアしてあげなきゃいけない訳でもない。
対処法だって沢山あるんだもの。
障害持ってるって、本当に困る事なんだろうか?
困る事ってこの世にあるんだろうか?
解決しなきゃいけない何かなんだろうか?
「平等公平にするべき事」は、この世にない気がするのです。
確かに親から貰った身体、
でもそれは彼方で自分が選んできたのです。
少なくとも私はそうしてきたし、
だから障害者という認識は無いんだなぁきっと。
障害者の定義・・・。はっきり分からないけど、
自分がそう思ったら障害者で、
自分が思わなかったら障害者じゃない。
かな。
私のメンタルマッスルトレーナーの1人
おぜっきーが書いてくれた「差別を無くす方法」